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2006年7月18日 (火)

恋の歌

16日の読売新聞にこんな記事が載ってました。

「浜辺の歌」は、作曲した成田為三(なりた・ためぞう)(1893~1945)が、東京音楽学校(現東京芸術大)の同窓の女性に贈った恋歌だった。女性の養子で声楽家の鈴木義弘さん(70)(東京都武蔵野市)が15日、高校時代を過ごした宮崎市で開かれた演奏会でこの秘話を公表し、「浜辺の歌」を歌い上げた。 成田は秋田県出身。山田耕筰に師事するなどし、数多くの作品を残した。「浜辺の歌」を贈られたのは、鈴木さんの養母で東京出身の矢田部正子さん(1900~89、旧姓倉辻)。正子さんは、声楽家で元東京芸術大名誉教授の矢田部勁吉(けいきち)さん(1896~1980)と結婚したが、子供がなく、勁吉さんの教え子だった鈴木さんを養子に迎えた。鈴木さんが正子さんから秘話を聞いたのは、勁吉さんが亡くなった翌年ごろ。「私の死後、曲に込められた事実が明らかになればと思う」と語ったという。夫にも話さない事実だった。それによると、1916年(大正5年)ごろ、東京音楽学校でピアノを専攻していた正子さんあてに、成田から郵便が届いた。中には手書きの楽譜(歌詞つき)があり、「いとしの正子にささぐ」と記されていた。それが「浜辺の歌」だった。そのとき、勁吉さんと婚約していた正子さんは、「私には決まった人がいます」と手紙を添えて楽譜を送り返したという。やがて、周囲の勧めで世に出た「浜辺の歌」は、広く歌われるようになった。正子さんの死去から17年。鈴木さんは「成田さんも奥さんも亡くなられた。今なら公にしてもいいと考えました」という。 鈴木さんは15日の演奏会のアンコールで秘話を紹介。「母はよく『成田さんに気の毒なことをした。この歌を歌う時は、成田さんの心情を考え、おろそかにしないでほしい』と言っていました」と話した。続いて、ピアノ伴奏で「浜辺の歌」がホールに響き、最後は聴衆も参加する合唱になった。(2006年7月16日0時16分 読売新聞)

「成田さんも奥さんも亡くなられた。
  今なら公にしてもいいと考えました」

なんて奥ゆかしい方達なんでしょう。(^_^;)
今の時代には、そんなこと・・・・って言う人がいるかも知れないけど
私はとっても癒された記事でした。

浜辺の歌ってどんな詩だったかなぁ?
と、検索したら出てました。
きっと成田さんは正子さんと浜辺をこんな感じで
散歩したかったんでしょうね。(^_^)

シリーズ 日本のうた

浜辺の歌  作詞:林   古渓  作曲:成田 為三

1.あした浜辺を さまよえば
  昔のことぞ しのばるる
  風の音よ 雲のさまよ
  よする波も かいの色も

2.夕べ浜辺を もとおれば
  むかしの人ぞ  しのばるる
  よする波よ かえす波よ
  月の色も 星の影も

3.はやちたちまち 波をふき
  あかものすそぞ 濡れひじし
  病みし我は すでに癒えて
  浜辺の真砂(まさご) まなごいまは

浜辺の歌.midi   MIDIクラッシック

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